M&A・事業承継においては、買主が自らの希望する条件を売主に提示する際に、「意向表明書」という書面を提出することが一般的です。
従来、意向表明書に関する法的な論点は、意向表明書を提出した買主に対する法的拘束力の有無くらいでした。もっとも、近年では売主が意向表明書(買主から提出されたもの)に署名・押印させられて、売主が法的に拘束されるといったケースが増えています。
そこで本コラムでは、意向表明書に関する基礎的な知識と、売主側で注意すべき点について解説させていただきます。
1. 意向表明書の内容・提出時期
意向表明書の内容に関する法律の規定は存在しませんが、M&A・事業承継の実務では、意向表明書において以下の項目を記載することが一般的です。
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① 買主の概要(事業内容・業績等)
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② M&A・事業承継の目的・シナジー等
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③ M&A・事業承継のスキーム(株式譲渡、事業譲渡など)
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④ 譲渡対価や、譲渡対価の支払方法(一部の譲渡代金を退職慰労金として支払う場合や、いわゆるアーン・アウト条項を規定する場合)
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⑤ M&A・事業承継の実行後の運営方針(従業員の処遇や、バックオフィスの体制など)
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⑥ 買主が希望するデュー・ディリジェンスの内容
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⑦ 買主に対する独占交渉権付与の要請
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⑧ M&A・事業承継の実行の前提条件の概要
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⑨ 買主が想定するM&A・事業承継の実行までのスケジュール
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⑩ 秘密保持
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⑪ 意向表明書の法的拘束力の有無
また、意向表明書の提出時期については、インフォメーション・メモランダム等の資料を踏まえた買主による初期的な検討の後(本格的なデュー・ディリジェンスより前)と、デュー・ディリジェンスの終了後の2つのタイミングがあり得ます。
いわゆるオークション方式の場合には上記2つのタイミングの両方で意向表明書が提出されることが通常ですが、簡易なM&Aではデュー・ディリジェンスの後にのみ意向表明書が提出されることもあります。
この点は、売主側のアドバイザーがM&A・事業承継のプロセスをどのようにアレンジするかによって異なりますが、売主の立場からすれば上記2つのタイミングにおいて意向表明書を受領した方が望ましいと考えられます。
2. 意向表明書の法的拘束力について
上記1.で記載したとおり意向表明書を提出するタイミングは2回あるところ、それぞれのタイミングで提出される意向表明書の内容はどう違うのでしょうか。
最も大きな違いとしては、意向表明書の法的拘束力の有無となります。すなわち、デュー・ディリジェンスの完了後に提出される意向表明書は「最終意向表明書」とも呼ばれ、買主による本格的な検討の結果を踏まえたものですので、譲渡対価などの実質的な条件について、買主を法的に拘束する内容であることが通常です。
なお、法的拘束力がある意向表明書の提出によって、法的に拘束されるのは買主であって、売主はその内容に拘束されるものではありません。したがって、売主は提出された意向表明書の内容をスタートラインとして買主との交渉を行うのか、あるいは買主との交渉を中止するのかを判断することになります。
一方で、デュー・ディリジェンスの前に提出される初期的な意向表明書については、法的拘束力が無いことが通常です。買主がデュー・ディリジェンスを実施しておらず、詳細な条件を検討できていないタイミングですのであくまでも初期的な条件の提示となりますが、オークション方式の場合には売主は初期的な意向表明書の内容を踏まえて買主にデュー・ディリジェンスを行わせるかどうかを判断するため、重要度はそれなりに高いと言えます。
3. 意向表明書への売主による署名・押印の要否
最後に、売主による意向表明書への署名・押印に関する注意点を記載させていただきます。
前提として、M&A・事業承継において、意向表明書に対して売主が署名・押印を行うことは、一般的な実務ではありません。むしろ買主が少しでも自らに有利にM&A・事業承継のプロセスを進めるために、売主に署名させているというのが実態です。
売主に対して署名・押印を要請している買主の立場からすれば、「基本合意書を締結するか、意向表明書に署名してもらうかの違いでしかない」ということかもしれませんが、基本合意書であれば契約内容について交渉し、双方が合意した上で締結するプロセスを経るところ、意向表明書への署名は、買主が一方的に作成した書面を前提に、売主に署名させるプロセスとなりますので、これらは合意形成の進め方が異なるものです。
また、売主に署名させることにより、買主に対する独占交渉権の付与、場合によっては違約金の発生まで約束させられることになりますので、基本的に売主側で意向表明書に署名するメリットはないと考えています。
M&A・事業承継を進められている売主側で、買主から意向表明書に署名・押印を求められた場合には、「売主が法的拘束力を負うのであれば、基本合意書の形にしてほしい」と伝え、拒否することが望ましいと思われます。
4. まとめ
本コラムでは、意向表明書に関する基礎的な知識と、意向表明書への署名・押印の要否など、売主側で注意すべき点について解説させていただきました。
従来、売主が意向表明書により不利益を被るようなことはありませんでしたが、近年では一部の悪質な買主が知識の乏しい売主を騙し討ちするような手法が増えておりますので、売主側でも意向表明書の内容には注意する必要が高まってきています。
当事務所では、M&A・事業承継を熟知した弁護士が、買主の交渉を含め、M&Aのプロセス全体をサポートしておりますので、M&A・事業承継をどう進めるかについてお悩みの際は、こちらのお問い合わせフォーム、あるいはお電話にてご連絡をいただけますと幸いです。
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