中小企業のM&Aをサポートさせていただく際、売主であるオーナーより「自社の『のれん』は2倍と言われたが、これが妥当なのか、アドバイスがほしい」という質問をいただくことは少なくありません。他方で、証券会社やFAが関与する大企業のM&Aで、このような質問をいただいたことはありません。
その理由は、日本の中小企業のM&AにおいてはM&A仲介会社が中心となり、「年買法」あるいは「年倍法」と呼ばれる計算方法を用いて株式価値を算定する実務が存在するためです。年買法については以下のコラムでも紹介しておりますので、年買法の内容は当該コラムをご参照ください。
本コラムでは、『のれん』とは何か、『のれん』は何倍が適切なのかといった点について、私個人の考え方を紹介させていただきます。
1. M&Aにおける『のれん』
はじめに、M&Aにおける『のれん』の意味について説明させていただきます。
『のれん』とは、日常用語では「のれん分け」という言葉があるように、特定の事業の営業権を意味するものです。M&Aとの関係では、『のれん』はもともと税務上の概念で、買主が売主に対して交付した対価のうち、買収対象の資産(M&Aのスキームが株式譲渡であれば株式、合併であれば対象会社そのもの)の時価純資産価額を超える部分の金額が、『のれん』となります。なお、交付した対価が買収対象の資産の時価純資産価額を下回る場合、『負ののれん』となります。
M&Aの実行により『のれん』(正の『のれん』)が発生すると、買主は『のれん』を損金算入する(『のれん』の償却)必要があり、したがって買主はタックスメリットを得られることとなります。
このように従来は税務上の概念であった『のれん』ですが、M&A仲介会社が関与する中小企業のM&Aにおいては異なる意味で用いられています。
具体的には、①対象会社の貸借対照表の純資産を時価評価した金額に、②対象会社の営業利益の数年分を『のれん』として加えた金額が、③M&Aの対価になるというものです。
一見すると税務上の『のれん』と同じように思われるかもしれませんが、これは「営業利益のX年分を『のれん』とする」という、いわば『のれん』の金額を積極的に決める考え方ですので、税務上の『のれん』がM&Aの対価と買収対象の資産の価値を比較した結果として算出されるものに過ぎないことと比較すると、大きな違いがあります。
念のため補足しますと、M&A仲介会社が年買法で用いる『のれん』は税務上の『のれん』と一致するものではありません。どちらかというと日常用語における営業権に近いものです。
2. 『のれん』は何倍が適切なのか
それでは、中小企業のM&Aにおいて『のれん』は何倍であればよいのでしょうか。
前提として、年買法の考え方はシンプルで分かりやすいというメリットがあるものの、DCF法などの他の株式価値の算定手法と比較して、理論的な根拠が乏しいものです。本コラムの冒頭で、大企業のM&Aにおいて「『のれん』は何倍であればよいのか」という質問を受けたことがないと記載しましたが、大企業のM&AにおいてはM&Aの対価の正当性を利害関係者へ説明する必要があるため、DCF法や類似会社比較法といった理論的な裏付けのある算定手法が用いられるためです。(DCF法などを用いて株式価値を算定すれば、『のれん』はその結果として出てくる数値にすぎません。)
もちろん中小企業のM&AにおいてもDCF法などを用いて株式価値算定を行うことは可能ですので、『のれん』は何倍が適切なのかという質問に対する1つの答えとしては、「DCF法、類似会社比較法などを用いて(正当に)株式価値を算定し、その結果から逆算する」というものがあり得ます。もっともDCF法などの算定手法が利用できるのであれば、わざわざ年買法を用いる必要性が低いため、実用的ではありません。
中小企業のM&Aの対価の妥当性の問題を突き詰めていくと、最終的には当事者が納得するかどうかに収斂されるため、『のれん』を何倍にするかという問題についての私個人の考え方としては、「業績が現状のまま維持されるとして、あと何年働けば手元にその金額が残るのかを計算し、その年数を働き続けることと、いますぐM&Aをして現金が手元に入ることとの比較で、後者の方が良いと思うのであれば、『のれん』の倍数も妥当である」というものです。
中小企業のオーナーがM&Aの検討を始める理由は様々で、そこには単に経済的なメリットのみでなく、年齢、健康状態など、金銭的な評価が難しいものも含まれます。私個人の経験から、『のれん』の倍数について疑問を持つ中小企業のオーナーが理論的な説明のみで納得されることはそれほど多くないため、重要なのは当事者が納得できるように、できるかぎりの情報を適切に提供することだと考えております。
3. まとめ
本コラムでは、本コラムでは、『のれん』とは何か、『のれん』は何倍が適切なのかといった点について、私自身の考え方を紹介させていただきました。
中小企業のM&Aにおける年買法と『のれん』の概念は理論的なものではなく、実務とともに醸成されてきた文化のようなもので、日本特有のものです。中小企業のオーナーの多くにとって、M&Aに取り組むことは一生に一度の出来事ですので、このような背景をもつ『のれん』の概念の理解には時間がかかると思われます。
アドバイザーの中には『のれん』の正しい理解ができておらず、売主を説得する材料として「『のれん』の3年分は相場どおりだから進めるべき」といった使い方をする者もいるようですが、『のれん』の問題に限らず、M&Aの進め方に疑問を持った際には違うアドバイザーにセカンドオピニオンを求めることも必要です。
当事務所では、証券会社において様々な会社の企業価値を算定した経験のある弁護士が、中小企業のM&Aをサポートさせていただいております。企業価値の算定を含め、事業承継・M&Aでお悩みの方は、一度当事務所までご相談ください。初回相談は無料で承っておりますので、お気軽にご連絡ください。
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